(25)T.kaoの場合平成6年4月、まだ社会にでて預金もない20才のとき友人の寿が連続しました。人よりも、というバカなミエが自分を抑えきれず誘惑にまけたのです。 私は一から揃えるべくノエビアカード(オリコ)を契約、ショッピングをつづけました。 これが初めての借金(7万円)です。 このころ、手取は平均13万円近くあり「まだ大丈夫」という金銭感覚のマヒが、 先をよめず恋に溺れ彼【当時24才 現在 ◯ホテルフロント勤務】にお金を貢いだのです。 そして3年後、結婚前提の破綻によるストレス解消衝動買いが、 13年後の自己破産申立の原因に。 平成10年、24才になり独身貴族の夢実現にムキになりました。 霧島市国分◯ハウスB◯号、家賃3万8千円。 賃貸契約金、生活用品といろいろお金がいりました。 親の援助をうけないためふたたびノエビアカード、あらたにジャックスカードを。 やがて家計が狂いはじめ、 その修正に2年後マイベストミュー(南日本信販)、 KCマネーカード(楽天)で家計を補いました。 平成15年3月、 やっと一人暮しになれ願望であった介護福祉の通信教育をうけることに決めたのです。 ◯学園高等学校の教育費13万円はメンバーズローン(オリコ)から借用しましたが、 アメニティカード(オリコ)からも借用。 ニコス、楽天KCニ返済も逆に楽天からワゴンRを160万円、 毎月6千3百円ボーナス10万円で購入するという矛盾がうまれました。 平成15年8~12月、 体異変で◯九州病院に治療入院、費用は鹿児島銀行、アプラスから。 平成16年6~10月、 介護福祉士に必要なスクーリングの費用をアプラスから。 平成16年12月、 家計を考え低家賃の雇用促進住宅に引越しました。 そのくせ体調を案じ羽布団を21万円で購入(楽天KC)、勤務年数11年、 まじめ一本で働く私に問題は皆無でした。 平成17年1月、 雇用促進住宅◯棟◯号に似合う家具をジャックス、オリコ、アプラス、 楽天KCから立て続け、支離滅裂な購入をしました。 平成17年11月、 介護福祉士のスクーリング不足費用をOMCから。 おもえば平成6年から17年までの11年間、結婚破綻からきた男性不信と衝動買い。 自分が井の中のカエルとも気がつかず、ただひたすら夢を追求め現実を見過していたのです。 気づいたら毎月の約定支払に四苦八苦。 それでも12月のボーナスでなんとかなるでOMC、日専連から生活借入をしていたのです。 平成18年になると、いつのまにか消費者金融アルタ、ライフ、DCキャッシング、 GMOネットカード、キャネットに足を運び自転車操業が始りました。 平成18年10月、 もはや私の給料で13社21万円以上の支払いは火の車、 危機感を感じ始めました。 平成18年冬のボーナスは焼石に水、相談相手もなく引きこもりになりました。 平成18年12月6~9日、 とつぜん3度目の◯九州病院に入院(日専連借入)を機にウツはひどくなり、 人と話すのもイヤになりました。 そのうち持ち金は底をつき消費者金融の増額もなく、 約定支払はもちろん、家賃光熱費の支払も遅れたのです。 平成19年1月、 ◯保証援助会の保証人紹介700万一本化(新洋信販)が望みの綱でした。 でも、はかなく崩れウツが輪をかけ死を考えました。 債務14社20件、借金646万円、年収332万円で月27万円の約定支払は限界です。 以上の経緯から、すべてやり直すために自己破産を決意しました。 (その後T.kaoは「あの苦しみはなんだったんでしょう」と自分への後悔と懺悔でした) 上記は 「債務発生の原因と破産までの経緯」の真実をfiction的に要約転記したものです。 |